棚の片づけをしていたら、スイスにいた頃買ったキーホルダーが出てきました。
確か、バッカスとアルティタンテと呼ばれていたと思います。お祭りの日には、たくさんの人がこのお面を付けて、街の中をめぐり歩いていました。
もう、かれこれ26年前のことになります。
あの頃の思い出が蘇ってきました。
ペンキ屋さん
「いつか母になるあなたへ」より
ニュージーランドから帰国して4カ月も経たないうちにまたお父さんの仕事でスイスに行くことになりました。あなたのちょうど2歳のお誕生日が出発の日でした。お金の節約で南回りの航路を採ったので30時間以上もかかってしまい到着したときには身も心もくたくたでした。それでも、たくさんの荷物があったので、なりふり構わず、日本のおんぶヒモであなたを背中にくくり付けて空港の中を歩いていると、何だか暖かい視線が私たち親子に降り注がれているのを感じました。
これからお父さんの同僚となる方が迎えに来て下さっていて、アパートまで送ってくれました。エレベーターもない地下1階地上4階の古いアパートの3階で、真っ白い壁に黒っぽい家具がおかれていて、入った瞬間冷たさを感じました。休む間もなく、夫は仕事場に連れていかれ、ちっちと二人途方に暮れました。家具以外何もないところで、のどが渇いても水も飲めません。寂しさと不安と空腹でちっちと二人泣いてしまいました。お父さんは、同僚の方からとりあえずその日過ごせるだけの台所用品と毛布を借りて帰ってきました。どうやって食事をとったか覚えていません。次の日も、早くから仕事に出かけました。昼頃には帰ると言ったのに、なかなか帰ってきませんでした。お父さんの職場は優秀な研究者を何人も出す様な大きな研究所だそうで、ニュージーランドの時のようにのんびりはできないんだという覚悟をさせられた二日間でした。
次の日、ドアのベルが鳴りました。恐る恐る出てみると、おヒゲを生やしつなぎの服に木ぐつを履いたペンキやさんでした。早口でドイツ語を話されたので「解らない」というと、流暢な英語で話してくれました。
(スイスの人は、3カ国語が話せることをあとで知りました。)それから3日間、手違いのために入る前に済ませるべきだったという壁の塗り替えをしてくれました。
私たち親子はよほど辛そうに見えたのでしょうか。時々優しく語りかけてくれました。また、次の日もペンキやさんに会えるのが楽しみでした。最後の日、3日間のお礼を言おうと思っていると、ペンキやさんの方から、きれいな紙袋を手渡されました。開けてみると、素敵な木のおもちゃでした。
それから、スイス人のお友達ができて、笑顔で暮らせるようになるまで3カ月かかりました。ペンキやさんの暖かさに支えられた日々でした。
お祭りの説明です。
14世紀/16世紀までさかのぼる歴史を誇るスイス最大のカーニバル“バーゼル・ファスナハト”。灰の水曜日後の月曜、まだ辺りも暗い早朝4時から、19世紀になって許可されたという暗闇の中でのパレード「モルゲシュトライヒMorgestraich/Morgenstraich/Morgenstreich」で幕をあけます。ねぷた祭りのようにペイントが施された大きな灯籠(Laternen/Ladaarne)や長いポールのうえにつけたやや小振りの灯籠、そして楽隊が頭の上につけた小さな灯籠が夜闇に浮かび上がるさまは幻想的です。パレードがスタート。バーゼルのカーニバルは、それぞれのグループが時事問題などの“スジェSujets(仏語でテーマ)” を決めて、そのテーマにあわせた灯籠や衣装を選ぶのも特徴のひとつ。モルゲシュトライヒの伝統メニューとして知られる、小麦粉スープ「メールズッペBasler Mehlsuppe」、チーズやオニオンをピザのような薄い生地にのせたパイ「ツィーベルヴェーZwiebelwähe」「ケーゼヴェーKäsewähe」なども登場します。


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