2012年9月1日土曜日

悲しい知らせ

フレッドおばさんが亡くなったという知らせが、孫のミシェルさんから届きました。

実は、今年になって、突然電話がありました。毎年出していたクリスマスカードが届かなかったから心配になったのだそうです。それが、フレッドの最後の声になりました。

いつかこの日がくることはわかっていましたが、もう一度お会いしたかったです。でも、フレッドはいつまでも、私の思い出の中に生きています。


「いつか母になるあなたへ」の中で書いた文章です。長いですけど、、、

フレッドおばさんのセントポーリア

ドアを開けると、笑顔のとびっきり素敵な老婦人が立っていました。小さなセントポーリアの鉢植えを差し出しながら、「これは、何年も前から増やし続けている花なのよ。よかったらもらってくれない?」と話し始めました。「前から友達になりたかったんだけど、言い出せなくて・・・。でも近頃見かけなくなったから心配してたのよ。」 
 お父さんの留学で、ニュージーランドで暮らし始めて最初の1年半は、思い切り外で羽を伸ばしていたのですが、そういえばここ2ヶ月は、つわりがひどくて家の中に閉じこもっていました。そのことを伝えると、「もっと外に出なくちゃだめよ。少しでも調子がいいときは、うちにお茶でも飲みにいらっしゃい。わたしの名前は、フレッド。」と誘ってくれたのです。
 次の日また、わたしの赤ちゃんのために手編みの小さなソックスを持ってフレッドおばさんが訪ねてきました。そして、「気分転換に、お茶を飲みに来ない?」と誘われるままに、わたしは久しぶりに外へ出ました。大好きなミルクティーさえ飲めなくなっていたわたしでしたが、ゆっくりすするように飲んでいると、不思議なことに、つわりが少し軽くなっているのを感じました。おばさんの夫パットおじさんもとても気さくな人で、たくさんお話をしてくれました。

それからも、フレッドおばさんは、たびたび手編みの赤ちゃんの靴下やセーターを持ってきてくれました。家族はお父さんだけという外国の地で、赤ちゃんの誕生を一緒に待ちわびてくれるフレッドおばさんの存在はどれだけわたしの救いとなった事でしょう。あなたが生まれるまでに、フレッドおばさんの作品は、段ボールいっぱいになりました。その箱は今でも、クローゼットに大切にしまってあります。
(おくるみやセーターは今ハー君が愛用しています。)
 そして、おばさんのセントポーリアはあなたの誕生と同じころに再び花をつけました。その花は今、押し花になって、あなたのアルバムの最初のページを飾ってくれています。

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